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ダブルケア月間2024 基調講演③

植木:ありがとうございます。やっぱり当事者・ケアラー視点というか、お二人のお話から、とっても温かい、「当事者にとって」というところがお二人の根源にあるんだなって言うのをすごく感じました。

それでは、ここまでの時間は、今までのダブルケアのことをお二人にお話をいただきました。ここからは、私たちが生きるのはこの先なわけですよね。未来なわけで、子どもたちも生きていくのは当たり前ですけど、この未来なわけですよね。先ほど渡邉先生からもお話があったように、これからどうやって、当事者、利用者家族、いわゆるケアラーにとって、これからどのような未来があるのか、あるのかって言ったら、ちょっと大げさですけれども、どのような未来になっていったらいいなと思うのか。こんな風なことがあるのではないかというような形で、未来、これからのことを、今度は先生お二人と進行が私、あとはもう一人、ダブルケア月間実行委員の八幡さんを交えて話をしていこうと思います。八幡さん、お二人の先生方の話を聞いて、まずは率直にどうですかね?

 

八幡:お二人の先生方の話を聞いて、まずは率直に、感想です。私、ダブルケア当事者の集い「ダブルケアカフェ」を地元で開いてるんですけれども、そこに参加される皆さんの声からも聞かれることなんですが、ダブルケアの調査研究によって、ダブルケアという言葉が広まり、「あ、そっか、私はこのダブルケアだったから大変だったんだ」っていうことに気づくことができて、そこから、それまで感じていた、ずっとモヤモヤしていたものが晴れるような気持ちになったという方もいらっしゃいます。まさに渡邉先生がおっしゃったように、言葉に勇気づけられたということです。事態が何も変わるわけではないんですけども、やっぱり自分が置かれている状況を、この言葉によって自分自身が理解できたということだと思うんです。なので、この言葉が広まってきたということ、この言葉に出会えたことに、当事者の皆さんたちは率直に良かったなという風に感じていると話される方が多いです。あと同じく、この調査研究の中で言うと、非常に多い声の中に、介護の多様性ということ、相馬先生がおっしゃってましたが、そこについてもお話される方が多いです。それまで身体的介護が介護だという頭でいた方が多いので、「私は介護なんてちゃんとしてないからダブルケアとは言えないです」っておっしゃる方が多かったんですけれども、実際、私もダブルケアを経験してみて、思ったのは育児と介護のこの実際やることのマネジメント作業というのが非常に頭の中でいっぱいになって大変だったり、あともしかするとなんてことないって思われるかもしれないんですが、通院付添いはやはり負担だという方も多いですし、それから毎日のように、近くの実家に食事を届けているという方もいらっしゃいます。ただ食事を届けるんじゃなくて、そこに必ず乳幼児を連れていくということが加わりますので、その子に冬だったらジャンバーを着せて、チャイルドシートに乗せてっていうことが加わると、地味なように感じるかもしれないけども、すごく大変だったということもあります。身体的介護だけが介護じゃないよということを、このダブルケアによって広まってきたかなというふうに思いますので、とても当事者の皆さんからは、自分の気持ちをわかってもらえたっていうような声が聞かれていました。

これからということを考えたときに、私がハッと思ったのは、相馬先生の最初の方の言葉にありました「ケアは立派な社会貢献で、ケアの価値をこれから上げていかなきゃいけない」といったことをおっしゃってたかと思います。私たちもそう思うんです、実際やってる身としては。どうしたらケアをしているということの社会的に価値というか、認識というか、どうしたら上がっていくかなっていうのをいつも考えていることが一点と、あと、一人にケアが集中しないように、ケア労働の再分配というか、いろんな資源なり、あるいは家族なりともう一回再分配したいなって思った時に、どういうふうにきっかけというか、ケアをしてる人たちは進めていったらいいのかなっていうのを、率直に感じたところです。以上です。

 

植木:本当に、正直な話、研究と現場というか、当時者の人たちっていうのはどういう風に繋がっていくのかなっていうのは、思う方もいらっしゃると思うんです。でも、今も八幡さんの話の通り、その言葉ができたこと、みんなが知ってくれたことで、実は当事者っていうのはこれだけ救われている場面があるんだっていうのが、すごく感じられたなと私も思います。八幡さん、ありがとうございます。

では、今八幡さんから軽いジャブじゃないですけども、投げかけというか問いかけがありました。どうでしょう?先生方、今の八幡さんの、これからこの先、どうやって社会と、ケア労働の再分配であったりとか、ケアの価値をどうやって生み出していけばいいのだろうかっていうようなお話がありましたけども、率直なところ、今感じてられるのはどのような感じでしょうか?相馬先生いかがですか?

 

相馬:ケアの責任を分担する人がどんどん少なくなってきていますよね。兄弟数も減ってきて、地域の関係ですとか、そういうのも希薄化している現状があるかと思います。こうして責任を分担する人が少ないということがダブルケアの当事者の方達の様々な暮らしの困難や、ひいてはダブルケアラー一人ひとりの様々な選択を困難にしている現状があると思います。研究の中でも、北米のケア研究者(ジョアン・トロント)の中の議論で、責任を分担する人が少ないのはなぜか?そのケアの責任から逃れる「パス」ですね、そのようなものがあるというような議論があります。そのケアの責任から逃れるパスというのが、三つあると言われています。一つは、生産労働・有償労働に従事していれば、家族ケアを免れるんだという「生産労働パス」です。2つ目が誰かをケアしたり、他者を助けるっていうのは、あなた個人の選択で好きでやってるんだから、別に他の人は責任を負わなくていいよねという、そういうパスが2つ目です。3つ目は、自分のことは自分でやればよいという「自助努力のパス」です。ややもすると、この資本主義社会、新自由主義的な社会の中で、個人の自助努力ですとか、自己責任といったような、考え方、他人に迷惑をかけない、自立して他人に迷惑かけないで暮らすという、そういう考え方が日本でも非常に強いと思うんですよね。そういう新自由主義社会の中では、こうしたケア責任が免除されやすいパスがあって、それがある人、「生産労働パス」ですとか、自分のことは自分でやればいいという「自己責任パス」ですとか、そういうケア責任が免除されやすいパスを持っている人は、ケアワークを免除されやすい。そして誰かにフリーライドして、誰かのケア労働に乗っかって暮らすことができる。そういう社会構造がまずあると思うんですよね。ダブルケアで言えば、中心的にダブルケアしているメインのダブルケアラーの方に、それぞれのダブルケア世帯、あるいはもう日本社会自体がフリーライドしている、タダ乗りしている、そういう実態があるかと思います。まずはこの責任を分担することから逃れるパスというものがあるということ、そしてそれがやはり誰かのワークの下で動いていること、これはこのコロナ禍を経験して保育園が開かないということによって、看護師さんが出勤できずに、病院のオペレーションもうまく回らなくなった。まさにケアがもう命に直結していることなんだというのは、このコロナ禍でも私たちが実感したことだと思います。つまりケア責任が免除されやすいパスがあって、それがある人は責任から逃れやすい。そういうことをまず社会がしっかりと認識すること。それが、ケアが立派な社会貢献であるというような認識につながる前提となるのではないかと思います。

 

植木:よく家事労働なんかも同じような感じなのかなと思います。確かに今、ただ乗りをしている、フリーライドっていうのは、なるほどと思いながら、それを乗られているのがダブルケア当事者の声なき声が聞こえてくる人たちなのかなっていうふうにも感じました。そのような社会構造、渡邉先生のお話の中で日本の文化的背景っていうふうなお言葉もあったと思うんですけども、日本人特有のって私も当事者なんかの話を伝える時によく言いますけど、その責任感の強さとか、そういった縛りと言うんですかね?親族間の縛りだったり、相馬先生がおっしゃる規範ですよね。そういったものに縛られているっていうのが、ちょっとずつ、社会的にも考えがこのコロナ禍である意味自由主義というか、個人主義みたいなものが、いい意味で作用していくといいのかな?なんていうふうにお話を聞きながら思いました。まだ今は、その個人主義っていうのがちょっとこう、都合のいいように使われてるんじゃないかなっていうのをすごく感じているので、それがこうもう少し個人主義だけれども繋がりのある社会の中での個人主義だったらいいのかな?なんて思いながらお話を聞いてました。渡邉先生、いかがですか?

 

渡邉:少し社会福祉の制度的なところからのお話をさせていただきます。先ほど言ったように、私が大学を卒業して特別養護老人ホームで働く時は、まだ介護保険が始まる前だったんです。その当時はいわゆる措置制度っていう仕組みで、高齢者の支援とか、他の制度も動いている時でした。その時の支援の決定っていうのがどういう風になってたのかって言いますと、基本的にはまず、ご家族や地域の中で高齢者の介護の問題は、解決できるところまでやってください、それがどうしてもできない場合には、行政の判断において、必要な支援っていうのを提供しますという仕組みでした。家庭内の介護は家族が行うというのが、ある程度前提になっていて、それができない場合に、行政が福祉サービス等をやるっていう仕組みになっていました。それは介護保険になって大きく変わりまして、基本的には保険料を払っていれば、植木さんの話でもありましたように個人主義と言いますか、被保険者は介護保険を使ってケアを受けることができるという仕組みに変わっていたというところがあると思うんですね。

 

そういったことを考えた時に、じゃあそれによってご家族が介護をする負担というか、役割からですね、切り替わったのか?というと、実際のところは切り替わっておらず、制度が変わっても、当たり前のようになっていたと思います。実は、措置制度においては、ある程度家族の支援というのが視野に入っていた部分っていうのが、まあ、制度が被保険者と高齢者自身に焦点が当たっていく中で、実は、制度的に言うと家族の介護の支援にスポットがあたりづらくなってしまったというところも、あったのではないかなというふうにも感じているところです。また、先ほどの八幡さんの話もありましたように、通院の付き添いとか、または介護サービスのマネジメントのところとかも含めて、実は結構ご家族がやらなければ介護保険が回っていかないみたいなところっていうのがあります。そうした部分がきちんと評価されてきたかどうかっていう問題も、改めて考えさせられるところかなというふうにも思っています。

 

一方で、この日本の中の介護というか、家庭内の相互扶助のあり方みたいなものっていうのの原型のようなものがあり、制度は変わっても、私たちの社会はそれを前提に動いている。例えば、それが病院の付き添いを家族にお願いしたりとか、なにか高齢者に問題があった時に、高齢者自身の責任と同時に、ご家族の責任がすごく問われるような社会であるとか、そういったものっていうのがある。それが日本的なものと言っていいのかどうなのかわからないんでけれども、それをいいとか悪いとかじゃなくて、そういったものをどう捉えながら、私たちの社会とか、私たちが昔から大切にしてきたそういったものを踏まえながら、家庭内のケア労働の問題っていうのをどう考えていけるのかというのが、今、すごく問われているところなのかなというのもこういったことに関わらせていただきながら感じていたところでございます。一応、社会福祉の制度としてはそういった、従来の縦割りの問題とかを解消していこうということで、様々な取り組みが各地域で行われはじめています。ダブルケアを、育児と高齢者介護の問題であると考えた時に、制度のサービスを使ってなんとかしようと思った時には、やっぱり縦割りの問題ってのはどうしても絡んできてしまう。私たちが収集させていただいた事例の中でも、保育所の送り迎えの時間とデイサービスの送り迎えの時間っていうのが重なった時に、そのマネジメントっていうのは家族が行わなければならない。その両方の制度をまたぐマネジメントシステムってないんで、そこのところの調整はどうしてもダブルケアラーの方、当事者の方がしなければいけないところは、構造上の問題から発生してしまっている。そういった問題というのをやっぱりどう解消していくのかっていうようなことっていうのも、大事になってくるのかなと思っています。

 

植木:こういった社会的構造であったり、今の制度みたいなお話をしていましたけども、私たちがよく言うのは、ダブルケアラーが自分らしい人生を送ってほしいっていうふうにすごく思っていて。日本の介護保険制度はやっぱり色々とやっていると素晴らしいものだっていうふうにも思うんです。それがあることで助けられている当事者はもちろんいるけれども、逆にあることで苦しんでいる当事者さんもいたりするわけで、その狭間でね、結構色々苦しんだりとかっていうのがあって、そこを実はダブルケアカフェなんかで乗り越えるヒントなんかを、当時者同士で話すことで、乗り越えていたりとかっていうこともあるので、そこもいわゆる助けみたいなものになっているんですが、実際、渡邉先生の話を聞いててすごく思うのが、今まではケアされるご本人が中心のケア社会だったことが、だんだん今はケアラー、ケアする人たちが中心の社会になっていかないと、たぶんこの先はなかなかまかりならないのかなっていうのをお話を聞いてて思いました。

先ほど言いましたが、ダブルケアラーが自分らしい人生を送るためには、今の構造であったりとか、そういった制度なんかをどうやって使っていくというか、それとうまく付き合っていくのがいいのかということも、お聞きできたらなと思うのですが。八幡さんどうですかね?ダブルケアラーが自分らしい人生を送るために、例えばカフェなんかでちょっとこの話があって、こういうのはやっぱりそのいいなあと思ったようなこととか話題とかっていうのはありますか?あと先生方に、お聞きしたいなと思うことなんかあれば。

 

八幡:私、岩手県というちょっと田舎の方に住んでるので、やっぱりどこかしらダブルケアカフェに来てくれる人たちは、自分がまずケアは担っていかないとなっていう気持ちでいらっしゃる方が多いです。ちょっとだけ田舎特有のもの、ニュアンスがちょっと伝わりにくいですけども、いらっしゃいます。必ずしもすごくネガティブに捉えてるわけじゃなくて、たまたま、自分ができる状態にあるから、今担っていますと言うんですけれども、そのダブルケアがいつか終わりを迎えるんですけども、終わった後に皆さん仕事に復帰される方も多いですし、終わった後に、じゃ今度は私が何かできることって言って、ファミサポ*さんに登録したりとか、あと他にも支え合いの会という、高齢者の方の、家政婦さんじゃないですけど、そういうサポートですね。介護保険外のサポートをできる地元の仕組みなんですけど、そういうのに登録したりとかいう方もいらっしゃるんです。なので、この言い方がいいのか分からないですけども、私たちの周りだと、その時はなんとか堪えて、終わったらあれをやるぞとか、これをやるぞとかっていうことをカフェでは前向きに考えながら、こんなことしたい、あんなことしたいっていうのを語り合いながら、とりあえず今を乗り切ってるっていう人たちが多いかなっていう印象なんです。かといって最近は自分のことを諦めるっていう人ばかりじゃなくて、やはりどんなに要介護者、介護が必要な家族がどんなにショートステイは嫌だなってささやかれたとしても、なんとかいろんな方法を使ってどうにか入ってもらって、その間ちょっと家族で旅行に行こうかとか、そういうことはチクッと心は痛むけれども、でもこれも必要なことだよねっていう風なスタンスで捉えながらダブルケアに励んでいる。励んでいるっていいのかな?ダブルケアに取り組んでる、向かってる方が多いなっていう印象です。答えになっているでしょうか?

 *ファミサポ・・・ファミリーサポート。地域で子どもを預かけたり預かったりする仕組み

 

植木:本当にうまく付き合ってでも、八幡さんがその前にも言った何が変わるわけではないけれども、そこで話すこと、言葉があることで、渡邉先生の話で言葉の力じゃないですけど、そういうところもすごくいわゆるメンタルというか、その部分ですごく支えられてるんだなというふうに思いますが。渡邉先生、社会保障というか、制度の中でもう少し物理的にこの制度がこうあれば、ダブルケアをされている方が何がしか救われるって言い方あれですけど、楽になるというみたいな、これからこの先、こんな風に制度がなっていくとみたいな、希望を含めてでもいいのですけども、そういった形のものが、考えられるようなことがあるとすればお聞きしたいですけれども。すいません、無茶振りですけど。

 

 渡邉:はい、実際にはダブルケアだけにすごくスポットが当たってるというわけではないですけれども、ダブルケアのような複合的な課題が家族の中にあり、どのニーズをどの今の制度につなげたらいいのかよくわからない、あるいは制度が存在しないようなケース、いわゆる制度の狭間って言われているような問題についても、社会福祉の業界では今すごくスポットが当たっています。おそらくこれからもいろんな工夫、地域の取り組みというのが行われていきます。それは制度だけではなくて、専門職の要請についても行われていくと思います。日本のソーシャルワーカーの要請の特徴として、やっぱり制度の運用をメインにおいていた、といったらちょっと語弊があるかもしれませんけども、勉強としても制度の勉強はカリキュラムの中でも多い。児童福祉の制度はこういう風になってますとか高齢者の制度はこういうふうになってますと勉強していく。そしで実際に就職先もそういった制度に位置付けられた施設とか機関に就職することが多く、その枠の中で仕事をすることが多かったです。そういったことでだんだん立ち行かなくなってきているということで社会福祉士の制度養成についてもそういったスペシャリストではなく、ジェネラリストの視点を地域の中でどう展開するのかということに、焦点が当たってきているっていうのもあるかと思います。

高齢者の方のケアマネージャーの資格要請でも、家族全体をみる視点が重要であるということがとりあげられている。その中で言われているのは、アウトリーチと言って、相談窓口に来るのを待つだけでなく、まだ制度につながっていないニーズをどう発見するかということが重要となってきます。縦割りになってはなかなか崩せないというところはあると思うんですけども、実際にケアマネージャーさんが、育児を抱えている、育児もやってらっしゃる主たる介護者のニーズにも着目して、そういったニーズを必要な機関につないでいけるようにしていく。また、そういった問題がそのケースだけじゃなくて地域の中でたくさん出ているとしたら、どうしたらいいのか地域の中で相談し合いながら、どういった仕組みができるのかをみんなで考えていく、そういった教育の方法にはなってきているのかなと思います。言うは易く行うは難しというところはあるわけですけれども、方向性としては全くそういうことに着目されていないということではないと思います。むしろそういった複雑な課題をもつご家族や個人をどうやって支援しがら、今後地域の中でよりよい制度を展開していくのかということに、スポットが当たっているのが現状かなと思っています。

 

植木:社会福祉士さんが、私もダブルケアっていうのはすごく気になっていくんじゃないかと思っております。コミュニティソーシャルワーカーとか。そのアウトリーチをしていく地域っていう言葉が渡邉先生からは結構出てくるなって。やっぱり社会保障の制度の方だと思うんですけど、これから地域に介護を戻していこうと国はしているわけですよね。在宅介護に戻していこうっていう流れがある中で、やっぱりその地域で支える力みたいなものはすごく大切だなというふうに、私も感じています。相馬先生、今いわゆるどちらかというと介護の制度であったりとかっていうところから、渡邉先生の視点でお話があったんですけど、相馬先生は比較的子育て支援拠点であったりとか、そういったところの皆さん、あとワーカーズさんのお話を聞いたりとかっていうところが、ずっとあると思うんですけれども。子育て支援が実はダブルケア支援であるというふうに相馬先生はおっしゃってると思うんですけど、これから子育て支援を含めて、そういったところはどう流れていけば、ダブルケアであったり、そういったケアの人たちに対してよい社会になっていくのではないかというふうにお考えですか?

 

相馬:そうですね。認知症や高齢者の方たちの、例えば傾聴ボランティアさんが来てる時に、ダブルケアラーの人たちは子どもの宿題を見てあげることができるということで、傾聴ボランティアの方たちが、子育て支援にもなっていたりですとか、また先ほど八幡さんおっしゃったように、ショートステイなども、その利用中に家族旅行に行けたりとか、子どもの好きなところに行けたりというようなことを考えると、子育て支援でもありますから、ダブルケアの時代というのは、子育て支援、介護支援っていうのは、ある意味社会的ケア支援っていう風に、包括的に捉えられるのではないかと思います。また、八幡さんや皆さんが地域で定期的に活動されているダブルケアカフェですね、これも、ケア友ですとかケアの仲間ですとか、ケアの先輩と出会う貴重な場だと思います。なんとなく自分でモヤモヤしていることを、ケア友やケア仲間やケアの先輩が背中を押してくれたりですとか、共感してくれたり。それはダブルケアの方が自分らしい人生を自分らしい毎日というか、モヤモヤを感じずに毎日できるだけ心穏やかに過ごしていく上での本当に大切なことだと思います。

 

私たち日本社会では、ケアのこととか、あるいは制度のこととか、ほとんど学校教育で学ぶことが少ないのではないでしょうか。学習指導要領の改定によって、高校で公共という教科が設定されて、その中で少子化の問題、高齢化の問題、ケアの問題、どんどん子どもたちが学んでいくことになると期待していますけれども、市民教育として、地域の中での地道なコミュニティワーク、またケアの制度のことですとか、しっかりと生きていく上での知恵というものを、義務教育の体系の中でしっかりと学んで行くことが、非常に日本では大事なのではないかと思います。また、ケアというのはケアする側ケアされる側というのが、一方通行だけではなく、ケアをすることによって、何か子どもや高齢の方から受け取るものもあるし、非常に相互作用と言いますか、双方向的なものですよね。それに対してサービスや商品というのは、生産者と消費者と区分するものです。ケアする人ケアされる人、その関係を中心に、社会を作っていくことを生産者、消費者という資本主義社会における一つの関係性だけで捉えるのではなく、ケアの視点から社会を転換していくことというのが非常に重要だと思います。また地域のダブルケアカフェの取り組みの当事者の方たちは、ある意味コミュニティワークをされていると思います。これまで子育て支援の現場を労働の視点から子育て支援労働というような視点で研究してきましたけれども、日本の場合には非常に安い賃金で地域の子育て支援、あるいはコミュニティワークというものを設定していると思います。こういったコミュニティワークの性質、さらに言えば、そうした専門性というのを、私たちはどういう風に考えていけばいいのかなというふうにも思います。保育士さん、介護福祉士さんの低賃金を改革することは非常に大事なことですけれども、それにとどまらず、その標準化された特定の資格に基づく専門家ではなく、市民性に基づく専門性といいますか、この地域で暮らしてきたという意味での専門性と言いますか、私たちが使う専門性という言葉の枠には収まらない、そういうものがダブルケアの当事者の地域の支え合いにはあるかと思います。これは子育て支援の市民活動の現場でも本当に議論の蓄積があるものだと思います。こういった市民とか、市民性と地域に基づいた専門性とは何なのか。それに対する社会経済的評価というふうに考えていけばいいのか。このあたりもダブルケアの活動を通じて、社会に問うていきたいなというふうに思っています。

 

子育て支援・ダブルケア支援の中には、ボランティアベースで実施しているものもまだまだ多く、それについての社会的な評価、経済的な評価というものも、その活動の持続可能性を高める上でも、とても大切なことだと思います。ボランティアをコーディネートする人への社会・経済的対価ですとか、地域の活動とかダブルケアの活動に関わる人を掘り起こすことには非常に多くの可能性があって、働きながら関わる人ですとか、休日にボランティアしながら関わる方とか、さまざまな関わり方で若い世代の方たちもコミュニティ活動に関わることの価値というものを高めていくことが、今後の少子高齢化社会の日本の中におけるコミュニティ活動の持続性に影響すると思います。ダブルケア支援・子育て支援の現場というのは、地域で柔軟な雇用が生まれる場でもあると思いますので、こういった地域づくりとしてのダブルケア支援、ケアが豊かな地域社会づくり、ひいてはケアが豊かな民主主義社会を作る活動として、ダブルケア支援、ダブルケアカフェの活動も捉え直すことができると思います。

ケアリング・デモクラシーという議論の中では、ケアが豊かな民主主義社会をどういうふうに作るかということで、北米の研究者、ジョアントロントなどが議論を活発に展開してきています。2024年の春にその翻訳本が出ますけれども、このダブルケア支援の趣旨で言えば、地域でダブルケア支援が不足している状態というのは地域で民主主義が不足している状態とも言えます。ケアの不足というのが民主主義の不足であるというのがケアリング・デモクラシーの議論の核となっていますけれども、このダブルケア支援の地域の活動というのは、地域の民主主義の不足を補う活動であり、非常に重要な活動だと感じております。

 

植木:ありがとうございます。ちょっと違う会合で、子育てはまちづくりだっていう話を実は先日聞いて来たばかりで、本当にお話の中でダブルケアも街づくりなんだなっていうのを相馬先生のお話を聞きながらすごく感じました。最後に先生にまとめていただいて、ポジティブメッセージをいただけたと思います。ダブルケアはやっぱり磁石ですよね。いろんな人をつなげていく。実際やっぱりこう繋がっていくことが、ダブルケア自体のダブルケアラーに優しい社会にもなっていくのだなっていうふうに、相馬先生のお話を聞いていて感じました。少し長くなりましたが、これで基調講演の方は終わりたいと思います。私も何かしめなきゃと思いながら聞いていたのですけど、相馬先生がしめていただけたので、興味深いいいお話が聞けて、渡邉先生も本当にいろんな社会資源の話とかも聞けて、とても勉強になりました。ここで終わらずに次に繋げていく形になっていきたいなと。聞いて良かった、お腹いっぱいではなく、それをこう出していけるように、私もすごい勇気をもらいました。いわゆるボランティアベースで地域づくりをしている人間としてもすごく勇気をいただけたなというふうに思います。

それではダブルケア月間2024年の実行委員会主催の座談会基調講演を終わりたいと思います。